青と黒
映画・青い春をみて
2018 12/17の文
落ち着いた声。
こんな声をしている人はいない。
他の人の声は全員いる。
あの人もこの人も、きいたことがある。
でも九条はいない。なんて声なんだろう。
なめらかに沈む無関心な声。
親しい青木ちゃんには温かみが増す青年の声だ。
圧がない。人を退かせるようなオーラ、そういうものではない。
私は九條になりたかったのだなぁ、と思う。
これを観た次の日私は3年ぶりにしっかりと自分のことを話すことになっていた。
Speak YourSelfといったところか。
自分のことを話す中で惨めな思いは拭えない。
九條になりたかった。
学校が天国だったらよかったのに。
歩道橋から飛び降りることもできない私は、きっと屋上の柵の外で手を叩くことはできない。
青木のようにもなれない。
あんな人間になりたかった。
彼のような強さが欲しかった。
なににしても彼は強いのだから。
皮肉にも1人だけ咲いてしまうような、なかば"選ばれた"ような人間になりたかった。
本当の孤独は耐え難く死んだ方がましだという経験だった。
気にもせず気高く強くいれる人間になりたかったんだ。
天国を簡単に手放してしまえるような飄々といれる人間に。
無気力や退屈はゆっくりと人を殺す。
それをわかってても、やはり彼はかっこいい。
ずーっと九條を追っている気分だ。
街を歩いてても駅のホームに立っていても、九條がいることを想像してしまう。
彼が唯一怖いと言ったのは死ぬことでも生きることでもなく
"自分の欲しいものをわかってる人間"だった。
私はわからないよ 九條
欲しいものってなんだよ
才能も頭の良さもお金も権力も
服からコスメにマイホームに
私は欲しいよ でもきっとそんなことじゃないんだろ
それだけじゃないんだろ
私もわかんないけどさ
私はからっぽだよ
何者にもなれず
ただ九條のような強さが欲しかったと思うんだ